名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

雑記、日記、考察、評論、小説、猫、他。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますとは言いません。特にこのブログは誰かに見ていただくために書いているわけではなく、自分自身のための備忘録としてペンを走らせているだけなので。

さて、「向上心のないやつは馬鹿だ」と、夏目漱石の小説『こころ』の中でKは先生を罵っていましたが、僕もその言葉に一抹の共感を持っています。
この時代、この世の中に、大義などありません。
特に日本は平和で、何かのために命をかけることもなければ、人生をかけて成し遂げるべき使命も(おそらく大半の人間は)持っていません。
そんな無駄なプレッシャーを自身にかけなくても、生きていけます。
だからこそ、僕は思います。ごはんを食べて、排泄して、息を吸って吐いて、眠る、そんなうちの猫のような怠惰な生活をしていては、それこそうちの猫と大差ありません。したがって、僕は稚拙ながら『目標』を掲げて、それに立ち向かう姿勢を一応見せたいと思っています。
間違ってほしくないのは、僕は「向上心のないやつは馬鹿だ」とは言いません。幸福の定義は人それぞれ違って当たり前だし、うちの猫は怠惰な生活こそが正義だと謳って寝息を立てています。それは彼の人生観であり、哲学であり、信念でしょう。立派です。とても。
しょせん、人生の幸福度など自己満足の機会をどれだけ設けられたかによります。
僕の場合は、自らに何か枷をかけないと、やってられないたちなだけです。

さてさて、ということで、2018年の目標は以下の通り。

1.一人旅を3回する。
 2017年に『日本秘湯を守る会』会員の宿に一人旅で訪れたことがきっかけで、3年間で10件の秘湯宿泊スタンプカードをもらいました。1年間に3回ペースでこれを埋めます。

2.小説執筆
 2017年にも同じ目標を掲げていましたが、いろいろ言い訳じみたことを言って結局中途半端に終わりました。学生の頃に手を出した趣味でしたが、社会人になってからかれこれ10年ほど手をつけられていませんでした。新潟生活2年目に突入し、時間的余裕(あくまで金銭的余裕ではない)ができてきたので、今年こそは長編1作、短編2作を目標に執筆します。

3.○○の○○を○○する。
 口に出すのもはばかれるため、伏せておく。多くは語らない。こんな雑記ブログで語れるほど下賤な項目ではないのである。

4.仕事を頑張る。
 はい。それ以上でもそれ以下でもないです。仕事、やめないように頑張ります。

さて、年末年始の休みが今日で終わってしまうため、あえてこのタイミングで2018年の目標を羅列するに至りました。
2018年の大みそかまでに、この目標がどれだけ達成されているか……。
もし一つも達成できていなかったときは、保護猫慈善団体に3万円を寄付することをここに約束します。

以上。



壊れるほど抱きしめるとか、壊れるほど愛するとか、よくそういう壊れるほど想いをぶつける描写を見かけることがある。

いつも考える。
壊れるのは、抱きしめられた少女の方なのか、それとも抱きしめた母親のかぼそい腕の方なのか。
もしかしたら、それは読者の解釈によって異なるのかもしれない。
壊れるほど愛された彼女の方が脆く儚く崩れてしまうのか、それともその彼女を愛した彼の精神が壊れてしまうのか。
読者が『もろい』と感じた方が、きっと壊れる側なのだろう。

僕は君を壊れるほど愛してはいない。
僕の場合は、君を愛するがゆえに壊したい衝動にかられる。
ばらばらこなごなに、くしゃくしゃぐちょぐちょに、壊したいと思う。

壊すことも愛なのだと解釈する人種は少なからずいて、サイコパス的なオーラを発しながら街を闊歩しているが、僕は違う。
どちらかと言えば、一度壊した君を、僕の手で再構築することに快楽を覚える。
君の指の第一関節と第二関節の間に、接着剤の要領で僕の愛を注ぎ込む。
そうすると、君は僕の愛なしでは動けなくなってしまう。
これこそ、君を壊したいほど愛するという言葉の真意である。

僕には、万引きGメン系のエッチビデオやエッチな本が好きな友人がいる。

店長「おいおい奥さん!そのバッグの中に入れたもの出しなさい」
奥様「・・・・スッ。」
店長「このちくわ、会計すんでませんよね!?」
奥様「お願いです!旦那には黙っていてください!」
店長「黙っていてほしければ、・・・・わかりますね?」

----みたいなところから始まるなんとも心あたたまるストーリーである。
友人いわく、店長に感情移入をするというよりは、従わざるを得ない奥様の方に気持ちをもっていかれるとのことである。
彼は言う。寝取られモノは文学である、と。

さて、人の趣味趣向は肯定してもよいが、むやみに否定するものではないと僕は考える。
友人がもう普通のいちゃラブ系ではぴくりとも反応しないポークピッツの持ち主になってしまったとしても、それは彼の生き様である。僕らがどういう言える立場ではない。
さらに言えば、某レンタルビデオ店の黒いのれんの向こう側には様々なエデンが広がっていて、男がふんどしで戯れるものだったり、またはロウソクやムチで攻められて喜ぶおっさんの物語だったり、僕のような未熟者が手にとってはいけないDVDがところ狭しに並んでいる。
しかし、それらは確かに、需要があるからそこに存在しているのだ。

需要とは、人間の出した答えであり、意思である。
その一つのかたちが、そう、彼の崇拝する万引きGメンなのである。

もし君の趣味を馬鹿にする者が現れても、恐れないでほしい。
君の心にも、万引きGメンがついているのだから。

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