名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

雑記、日記、考察、評論、小説、猫、他。

高校生時代、卒業を目前に控えた僕らに担任の先生はこう言った。

『人は、平等ではない。しかし、時間は平等に与えられるものである』

なんとも普通の言葉である。
感動のひとつも沸かない。だいいち、30歳で事故死する人間もいれば、100歳で老衰死する人間もいる中で、はたして与えられた時間は平等だろうか。などと、屁理屈を垂れた思い出がある。

100歳まで生きた老婆より、若くして事故死した若者の方が不幸な人生だったかどうかは、誰もわからない。もともと人間の幸せを正しく計るスケールなどこの世に存在していないし、そのメモリも個人差があるだろう。

一日が24時間であることは、確かに平等である。
しかし、ブラック企業に勤めて一日15時間ほど働く人には余暇などあり得ないだろう。
定時で帰宅できる公務員(公務員に対する偏見だが)であれば、アフターファイブに趣味を楽しむことができる。24時間というタイムリミットは同一だが、その使い方は不平等であろう。

では、先生が言った『時間は平等である』という言葉の真意は何なのか。

僕なりの解釈は、こうである。
この世に神が存在するとしたら、それこそが『時間』という概念ではないかと。
時間が経つにつれて、生き物は劣化していく。
細胞は分裂するとき、100%の情報を複写することができない。細胞内の核にインプットされた情報の欠落が、老いとして生き物をむしばんでいく。時間が、それらすべてを運んでいく。
形あるものはすべて、時間に支配されている。平等に、支配されているのだ。
時間が世界を掌握し、神として君臨している。これが、絶対的に『時間』という概念が皆にとって平等に強敵であるということであり、先生の言葉の僕なりの解釈である。

そこから導き出される結論は、時間軸上を一定スピードで進む地球という船に乗った僕らは、決して時の流れに逆らえないということである。

相対性理論によると、光よりも早い速度で移動することでタイムスリップが可能だと論じていた気がするが、あえてそこには触れまい。(というか、細かい理論を論じられるほど、僕はそれに精通していない)

ただ、「1年早いねー。月日が過ぎるのは早いねー」などというため息をよく耳にするが、なんとも愚かであるということだ。時間という神に運んでいただいているという自覚が足りない。もっと、時間の経過を意識すべきである。

ということで、気がつけば今年も残り1ヶ月と半分。
本当に、時が経つのは早いよなぁ。(←この一文が書きたかったがために、ここまでの駄文すべてを記したことは察してほしい)


こんばんは。ヤイリです。

夜がふけてきました。雨もしとしと冷たく降っています。
野良猫たちが風邪をひいていなければいいのですが。
きっと空には分厚い雨雲が広がっているのでしょう、星も月も、地上に住む僕には見えません。
ランタン型の街灯が等間隔で並列し、そこに道があることを示してくれます。
僕らはそうやって、先人たちが敷いたレールの上を進むのでしょう。

さて、今年も残り2ヶ月をきりました。
時は目に見えない早さで僕らを終焉へと運んでいきます。

2017年に掲げた目標をほぼ何一つ達成していない僕であります。
目標は具体的に、以下の通り。

1.長編小説を執筆する。
→ほぼ進展なし…。プロットもどきをいくつかつくったけど、本当はもっとがっつり取り組みたかった。文章を書くことで一定のストレスが解消されるので、これは引き続きやっていく。

2.本を10冊読む。
→小説としてはたぶん3~4冊くらいしか読めなかったと思われる。今読んでる夏目漱石も、挟んだしおりをうちのアホ猫が毎回引っこ抜くので、いつも最初から読み返さなければならなくなる。

3.一人旅をする。
→これが達成できなかったことは、非常に残念である。なぜなら、やる気次第で達成できるからだ。まだ今年は残り1ヶ月半あるので、ぜひ一泊二日でいいから試みたいと考えている。

4.○○を○○する。
→口に出すのもはばかれる内緒の目標のため、内容は伏せておく。

自分自身の生活や所作を振り返ると、だいたい自らの情けなさを痛感する結果となる。
やる気と行動力次第で達成可能だったにも関わらず、なぜ何も為さずに一日が終わるのだろうか。

世間では、自殺志願者が9人も殺害される事件がありましたね。
殺人はいけないことですよ!当たり前ですよね!たぶん!

ただ、自分の命は自分のために使って死にたいというのが僕の持論です。
なので、ぶっちゃけ言って自殺は否定しません。
自分の大事な人が自殺しそうだったら止めますがね。なぜなら、僕が生きる上で、その人に生きていてもらった方が好都合だからです。決してその人のためではありません。

僕の命も、基本的には僕自身のために使うつもりです。なので、今年もあとわずかですが一秒一秒の命のタイムリミットを、心臓の鼓動一回一回を、ちゃんと意識的に『使用』していきたいと思います。

まずは、そうだな、一人旅の計画だな!
考えます。

小学生の頃、『あのねノート』という奇妙な宿題があった。

「先生、あのね……」という書き出すことを条件とした日記である。当然、その日記は先生に読まれることを前提に書くものであり、毎日宿題として提出が義務づけられていた。

先生、あのね、ハムスターを投げて遊んだよ。
先生、あのね、食べられなかったにんじんをポケットに隠したよ。
先生、あのね、友達のドラクエの冒険の書を消したよ。

まあそんな感じで、今日どんな悪事を為したかを先生に懺悔(ざんげ)するという『あのねノート』。
さぞかし悪趣味な罪状綴りであっただろうと、当時のことを振り返る。
小学3年生だった僕の担任の先生は、20代前半の新任教師であり、あのねノートに綴ったいたずらの数々を丁寧にチェックしてくれていた。

それが、たまらなく嬉しかった。

僕はある日、
「先生、あのね、先生が男の人と歩いてるのを見たよ」
と、書いて提出した。

その日の放課後、僕は先生に生徒指導室へと呼び出された。
「ヤイリくん、先生のことを見たってどこで見たの。あのねノートに、そう書いていたよね」
「うん。書いたよ。先生、男のひとと一緒なのを見たよ。どこで見たかは、内緒だよ」
「どうして内緒なの」
「そっちの方が先生が困るからだよ。先生の困った顔が見たいんだよ」

先生は、絶句した。
先生は僕ら生徒が大声であばれたり授業中にうるさかったりしても、うまく叱ることができない人間だった。
僕に対し、怒りと怯えを滲ませた苦悶の表情を見せた後、拒絶するようにきびすを返した。

先生の声は、震えていた。
しかし、同時に僕も高揚感に心震わせていた。
「もう変なこと、書いちゃいけませんよ」
「いやだよ。先生があのアパートにあの人と住んでいて、あそこで買い物をして、どこで笑ってどこで泣いて」
僕は続けた。
「いつ帰ってきて、いつお風呂に入って、いつ眠って、いつゴミを出して、いつ憂鬱な顔をして学校に来るのか。僕はちゃんとあのねノートに書くんだよ」

放課後の斜陽が、紫色とオレンジ色を混ぜたような色で僕らを包む。
先生は眉間にしわを寄せて、僕から一歩、また一歩と遠ざかる。
「あのねノートは先生が毎日提出しなさいって言ったんだよ。だから僕は書くんだよ。書くために、先生を見続けるんだよ。僕は体が小さいから、クローゼットや、ベッドの下や、いろんなところに隠れられるんだよ」

先生のくちびるの色がだんだんと悪くなっていく。
瞳からは涙があふれる。指の先が恐怖に震える。小刻みに後ずさりをする。
背中を丸めて、これから殺人鬼に切り刻まれる少女のように小さく縮こまっている。
僕はしゃがむ。ランドセルからあのねノートを出す。
「先生、あのね。今日は先生がへんだよ。ぼくを怖がっているみたいだよ。でも、わかったことがあるよ。今までみた先生の顔の中で、泣いてる顔がいちばんかわいいよ」

どたどたと、先生はへっぴり腰を引きずって指導室を飛び出した。
逃げなくてもいいのに、と僕は口をとがらせる。
残された僕はノートをランドセルに放り込んだ。

さて、おうちへ帰ろう。
いつものあのアパートに。

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