名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

雑記、日記、考察、評論、小説、猫、他。

小学生の頃、『あのねノート』という奇妙な宿題があった。

「先生、あのね……」という書き出すことを条件とした日記である。当然、その日記は先生に読まれることを前提に書くものであり、毎日宿題として提出が義務づけられていた。

先生、あのね、ハムスターを投げて遊んだよ。
先生、あのね、食べられなかったにんじんをポケットに隠したよ。
先生、あのね、友達のドラクエの冒険の書を消したよ。

まあそんな感じで、今日どんな悪事を為したかを先生に懺悔(ざんげ)するという『あのねノート』。
さぞかし悪趣味な罪状綴りであっただろうと、当時のことを振り返る。
小学3年生だった僕の担任の先生は、20代前半の新任教師であり、あのねノートに綴ったいたずらの数々を丁寧にチェックしてくれていた。

それが、たまらなく嬉しかった。

僕はある日、
「先生、あのね、先生が男の人と歩いてるのを見たよ」
と、書いて提出した。

その日の放課後、僕は先生に生徒指導室へと呼び出された。
「ヤイリくん、先生のことを見たってどこで見たの。あのねノートに、そう書いていたよね」
「うん。書いたよ。先生、男のひとと一緒なのを見たよ。どこで見たかは、内緒だよ」
「どうして内緒なの」
「そっちの方が先生が困るからだよ。先生の困った顔が見たいんだよ」

先生は、絶句した。
先生は僕ら生徒が大声であばれたり授業中にうるさかったりしても、うまく叱ることができない人間だった。
僕に対し、怒りと怯えを滲ませた苦悶の表情を見せた後、拒絶するようにきびすを返した。

先生の声は、震えていた。
しかし、同時に僕も高揚感に心震わせていた。
「もう変なこと、書いちゃいけませんよ」
「いやだよ。先生があのアパートにあの人と住んでいて、あそこで買い物をして、どこで笑ってどこで泣いて」
僕は続けた。
「いつ帰ってきて、いつお風呂に入って、いつ眠って、いつゴミを出して、いつ憂鬱な顔をして学校に来るのか。僕はちゃんとあのねノートに書くんだよ」

放課後の斜陽が、紫色とオレンジ色を混ぜたような色で僕らを包む。
先生は眉間にしわを寄せて、僕から一歩、また一歩と遠ざかる。
「あのねノートは先生が毎日提出しなさいって言ったんだよ。だから僕は書くんだよ。書くために、先生を見続けるんだよ。僕は体が小さいから、クローゼットや、ベッドの下や、いろんなところに隠れられるんだよ」

先生のくちびるの色がだんだんと悪くなっていく。
瞳からは涙があふれる。指の先が恐怖に震える。小刻みに後ずさりをする。
背中を丸めて、これから殺人鬼に切り刻まれる少女のように小さく縮こまっている。
僕はしゃがむ。ランドセルからあのねノートを出す。
「先生、あのね。今日は先生がへんだよ。ぼくを怖がっているみたいだよ。でも、わかったことがあるよ。今までみた先生の顔の中で、泣いてる顔がいちばんかわいいよ」

どたどたと、先生はへっぴり腰を引きずって指導室を飛び出した。
逃げなくてもいいのに、と僕は口をとがらせる。
残された僕はノートをランドセルに放り込んだ。

さて、おうちへ帰ろう。
いつものあのアパートに。

盗んだバスで旅に出て、3日目のことだった。

僕は陸地に沿って弧を描くようにシーサイドを飛ばしていた。
波は穏やかだった。大海原の青は僕の冒険心を優しくなでて震わせた。

世界が“こんなに”なる前に、通販サイトで買ったサングラスをくいっと直す。秋の澄んだ空から、暖かみのある斜陽がバスと僕を包む。
僕は片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手でラジオをつけた。
『隕石の落下まで、残り23日5時間30分……』
冷たい文字列と数値列を、録音された女性の声が読み上げる。
まったく、こっちは気持ちよく旅をしているのだから、ボブディランのひとつでもかけてほしいものである。

道路には、僕の運転するバス以外に車は走っていない。
こんなにも気持ちの良い秋晴れにも関わらず、釣り人ひとりすら見当たらない。
世界の破滅がすぐそこまで迫っているこんなときだからこそ、幸せを探して釣り糸を垂らすべきだと考えるのは、僕がフェミニストだからか、はたまた楽観的すぎるからか。

煙草に火をつける。さっき自販機をぶっ壊して手に入れたセブンスターである。
窓をあけ、冷たい空気を車内に入れる。僕は、自由を感じる。

”そのニュース”が世間を騒がせたのは、僕の18歳の誕生日、偶然にも10月10日の夜だった。
地球の13倍の体積をもつ隕石が、約31日後に落下してくる。なんともSF映画チックな話だが、どうやら事実らしかった。幸いにも、僕は厭世的思想にとりつかれた死にたがりであったため、ちょうどいい、首をくくる手間が省けたくらいにしか思っていなかった。
しかし、世界中の人間たちは狂い逃げ出した。どこへ逃げても、地球上からは脱出できないにも関わらず、だ。
なんとも滑稽である。

それから、テレビ放送がなくなった。今ではラジオが定期的に地球の寿命をカウントするのみとなった。
街から相当数の人間が消えた。どこぞの宗教団体が皆を連れて行ったという噂もあれば、東京の地下シェルターへ向かったとも聞こえてきた。
率先して犯罪集団を結成し、本能のまま女を襲う者も出てきた。滅びることが確定している世の中なのに、金銭を奪う者もいた。死を目の前にして、皆、生きたいように生きだした。

僕はというと、まずバスを盗んだ。路線バスではない、長距離も走れる観光バスである。運転技術に自信がなかったため、少々小ぶりなやつにした。

バスの運転手は、僕の夢だった。
セブンスターの紫煙は一瞬で窓の外に吸い出され、消えていく。サングラスの位置をもう一度直す。
最高に気分が良かった。残り23日、あてもない旅を決め込ませてもらう。

ぐぅっと、空腹を知らせるベルが上腹部から鳴る。
適当なスーパーマーケットでも探して食料を調達しようと、思考と目線をくるりと巡らせた僕は、
とらえたのだ。
視界のはしに、たしかにとらえた。
とらえて、反射的にブレーキを踏んだ。

バス停に、少女が一人。
黒いキャリーバッグを立てて持つ少女が一人、
来るはずのないバスの到着を待っていたのだった。


~つづく~

ロバの馬車に揺られて、夜の荒野を進む。
旅の目的地は、ガイコツたちが踊る死者の世界。
無愛想な荒野の風が、塵や砂を馬車の木目に打ち付ける。
ワラが敷かれた荷台に、僕は眠る。
ごわごわした重たい毛布を体に巻いて、丸くなる。
ふと頭を起こして空を仰げば、満天の星空が青く光る。
何万光年も離れた星の光は、乾いた空気を貫くように荒野を照らす。
星座は正しく夜空を飾る。まるで一枚の絵画のごとく、僕はその壮大な景色の一部になる。

人はなぜ旅をするのか考えてみた。
故郷とは、人間に生まれたなら誰しもが持っている大切な場所である。
生まれた家や、駆け回った路地裏、手料理のにおい。そのすべてがかけがえない記憶として脳に焼き付いていて、愛おしい痛みと懐かしさで僕らを酔わす。
すでに壊れてしまった光景だったとしても、失ったことを皆が憂う。
もう会えない笑顔を思い出して涙を流す。
ほほをつたった涙の通り道は、荒野の冷たい風に吹かれても暖かく感じる。
その冷たい暖かさで、自分が今まで生きてきて、そして今も生きていて、これからも生きながらえるという幸福と絶望を同時に感じさせてくれる。
旅は、置いてきた過去の意味を教えてくれる。
ロバはきらきらした瞳でしっかり前を向き、僕と馬車を運ぶ。
僕は前を見ず、ただ一生懸命星空を眺める。綺麗な世界以外を視界に入れぬよう、ひとつでも多くの星光を瞳に集める。

向かうは死海。
生きながらえた者が例外なく背負うこの世からのお別れを、ただ神々しく想像して、ひらすら進む。
ロバは脳天気に歩を進める。
僕は朝日など昇るなと願って目を瞑る。

意識が遠のく。
目的地は、おそらく死者の都。
夢と現実の狭間で、ガイコツたちは踊りながら僕の弱った体を歓迎する。
ロバは、僕の魂を置いてけぼりにして、それでもなお地平線に向かってただひたすらに進んでいく。


このページのトップヘ