名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

さて、僕は旅を愛している。
今回は旅の尊さ素晴らしさを存分に語ろうと思う。


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おっと、その前に、一つ。否定的な愚痴を言わせてほしい。
「自分探しの旅」という名目で旅行する人がいるが、そういう格式の高い方々はその旅路でちゃんと『自分』を探し当てることができているのだろうか。
 
僕はこれまでの人生で何度も旅をしてきたが、旅先で自分を見つけ出したことなど一度もなく、むしろ日常の自分を忘れ、自我を形成するまどろっこしい何やかんやから距離を置くことを旅の目的にしてきたといっても過言ではない。
どちらかといえば、『自分探し』とは対極の『自分忘れ』を娯楽的に楽しむのが旅だと考える。

旅先の、そう、自分が暮らしている街から遠く離れた田舎や都会にも僕らと同じような人間が等しく暮らしていて、しかし自分を知っている人間は誰もおらず、自分とは無関係の時間が流れている。
旅先に期待することとは、そういう日常から乖離した贅沢な孤立感ではないかと考える。

だから、自分探しの旅に出ても自分を見つけることなどできないのではないだろうか。
自分を『見つめる』ことはできたとしても。
しかし、旅路の中で自分を見つめる暇があったら、僕は僕の知らない街を眺めていたいが。


現在、僕はとある雪国にひっそりと暮らしているのだが、昨年まではもっと西の国に住んでいた。
僕にとっては、縁もゆかりもない土地だった。
友達がいなかった僕らは、よくとある猫カフェを訪れていた。

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猫カフェとはとても奇妙な場所である。
まず、ただ猫を愛でるだけで金がかかる。猫はただ自由に高い所へのぼっていたり、窓際で昼寝をしているだけなのに、僕ら人間は猫たちに金を払う。
それでも猫たちに会いたいというモノ好きたちはわくわくしながらここに足を運ぶ。

「うちに猫がいるんだから、猫カフェなんて行かなくてもいいじゃん」と僕は言う。
「よその家の猫は別腹!」と姉は反論する。
ぴくりと、こてつは「ここにうちの猫がいるのによその猫の話をするな!」と不機嫌な顔でこちらをにらむのであった。

しんしんと雪が降る。
冬の夜の街に、我が家の明かりが灯る。
家の明かりは連鎖し、街に点々と広がっていく。
世界は、猫と人間とそれ以外でできているのだろうと、そう思わせる我が家であった。

猫とは非常に奇妙な生き物で、とはいえ僕は猫を飼った経験がこのこてつ一匹しかいないのだが、猫の行動を縛ることは不可能に近く、不可能というより試みることすら禁忌なのではないかと思わせる何かが存在する。

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『猫は人を役に立つペットだと思っている』という誰かさんの名言にある通り、僕らは彼ら(猫ら)を縛ることはできないのだろう。
物理的に縛ろうと思えば、首輪でも鎖でもつければいい。
しかし、そんな束縛は愚行であると思わせる雰囲気が、猫の琥珀色の瞳から漏れ出し、部屋中の(はたまた世界中の)空気を満たしていく。その空気が夜風とともに世界中をめぐり、猫が所有する自由を保障しているのだと、僕は考える。

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