当時、高校2年生だった僕は、クラスメイト全員が死ねばいいと思っていた。
丸坊主にした高校球児がグラウンドで砂煙を立てているのを、僕は校舎3階の理科室の窓から見下ろしていた。
夕暮れは目を細めたくなるほどまぶしい。校庭やグラウンドで同級生が青春ドラマを織りなしている。目を細めたくなるほど、まぶしい。

理科室は、沈黙がうるさく響いていた。
僕はマッチを擦り、アルコールランプに火をともす。
黒塗りのテーブルの中央にランプを置く。アルコールが気化したにおいが漂う。僕は橙の夕焼けを背にして、机に突っ伏す。灯火は直視するにはまぶしくて、また目をそらす。
僕は、すべてから目をそらす。逃げることは慣れっこだった。

「ここはあなたの部屋じゃないのよ」
声に振り向くと、化学担当の先生が立っていた。白衣のポケットに両手を突っ込んで、不機嫌そうに僕を見ていた。先生は男子に人気があった。胸が大きくて、スレンダーだったからだ。
僕は先生の呼びかけを無視して、ランプの火を見つめていた。
「あのねぇ、友達がいないのはわかるけど」
僕は。
「ここは君の遊び場じゃないんだから」
それでも、僕は。
ーー誰がしゃべるものか。

壊れた壁掛け時計は、17時をさしていた。当時、僕の住んでいた街では大規模な地震の被害があった。何棟も家屋が倒壊し、死者も出た。この校舎も壁にひびが入ったりしたが、あらかた修繕されていた。しかし、なぜかこの時計だけは震災の起きた時刻のまま止められていた。

机に顔を突っ伏したままの僕だったが、ついにばつが悪くなり、アルコールランプにふたをした。
しかし声は発しなかった。無意味な意地が僕を無口にさせた。
仏頂面の僕を見て、先生はあからさまに長いため息をついた。先生は僕の隣の席に腰をおろした。

本当は先生とおしゃべりがしたかった。
先生はとても綺麗な女性だったし、知的だった。本もたくさん読んでいるようで、授業でゲーテの『若きウェルテルの悩み』を紹介していた。試しに読んでみたが、僕には何が面白いのか全く理解できなかった。それは僕に感性が足りないのか、先生の本のセンスがないかのどちらかだった。

「グリーゼ581」
「・・・・・・え?」
唐突な一言。今、なんて。思わず僕は声を発してしまう。意固地に無言を貫こうと思っていたのに、思わず、聞き返してしまう。
「私も専門じゃないから、教養程度の話だけどさ」
先生は、黒いストッキングを夕焼けに光らせながら脚を組んだ。僕は目のやり場に困って、外を見た。
「グリーゼ581っていう星があるの。天体の話。天秤座の方角にある恒星でね、地球から20光年離れてる」
「・・・・・・何の話ですか」
「だから天体の話よ。そのグリーゼ581って星はね、まだ詳しくはわかってないんだけど、第二の地球って言われてるの。とても地球によく似た環境でね、生き物がいるんじゃないかっていわれてる」
ぴくりと、僕の心がうずいた。好奇心が鳥肌に乗って体を駆け巡る。思考が冴える。
「そこには、もしかしたら、もうひとりの君がいるのかもね」
「・・・・・・」背中に夕日が当たる。とても暖かく、まるで誰かに抱きしめられた気分になる。
「20光年も離れている別の星の話だけど。グリーゼには、私や君、他のクラスメイト、みんなが別の世界軸で暮らしている」
「・・・・・・」
「たとえ地球がグリーゼに成り代わっても、君は君の性格で育っているだろうし、私も私できっと教師をしていると思う」
すると、先生は立ち上がり、僕に近づく。ふわりと香水と煙草のかおりがする。
一気に緊張して、肩がりきむ。カチコチに固まった僕の肩に、先生は顔を寄せる。そのままくるりと体を返し、僕と同じ目線の位置で窓の外を指さす。細く、白い人差し指。指した先は、天秤座の方角。
「ほら、今、君は君と目が合った。グリーゼの君も、きっと孤独で泣きそうな顔してる。こっちから笑ってあげなきゃ、向こうの君がかわいそう」

ーーなぜだろう、僕は笑えた。
無意味に意味深な先生の講義は、夕暮れに優しく溶けて僕の心に染み入った。
そのとき、先生は僕に何を伝えたかったのか。今でも考える。
昨年、先生が亡くなったという知らせが来たときは、耳を疑ったが、変に納得した自分もいた。
美人は往々にして、短命である。


2017年、6月。22時。
僕は煙草をくわえて、天秤座の方角を仰ぐ。
星空が街を包み込む。何光年も昔の光が、無事に僕の瞳に届く。
グリーゼに生きる先生は笑っているだろうか。はたまた不機嫌な顔をしながら理科室で孤独な生徒を救っているだろうか。
壊れた時計は、今も壊れたままだろうか。
少なくとも、僕の思い出の中では、
夕焼けの橙が今も色あせず、17時のまま、あの日の先生と空を見ています。