名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

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人間はなぜ恋をするのか。あ、これはうちのアホ猫です。

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恋は本能と理性の合作である。
本能とは、男と女が一緒になり、ついては子孫を反映させていくという種の保存を目的としたプログラムが僕らのDNAに埋め込まれていることである。その結果、僕は可愛い女の子を見ると鼻の下をのばす猿に成り下がってしまった。
理性とは、夫婦の仕組みのことである。
種の保存が原理原則の最終目的であるにもかかわらず、少なくとも我が国の夫婦は一対一の男女で構成しなければならない。一夫多妻制は、僕の頭の中でしか許されていない。子孫繁栄においては実に非効率な制度である。
けど、きっと恋ってそういうものである。
一人の人を永遠に愛し、自身のすべてを捧げても『君』の幸せを願う。そういうくだらなくも尊い感情が、きっと恋なのだろうと思う(そのくらい、童貞の僕にでもわかる)。
嫉妬は悪である。浮気は犯罪である。だから、夫婦は一対一でないといけないようだ。

しかし、悪いことだとわかっていても禁断の林檎をかじりたくなるのもまた人間の性である。
ゲス不倫に代表されるように、不倫は文化である。文化的なものは未来永劫にわたって保存していかねばなるまい。善悪関係なく、そのすべてを。

思う存分、人間は恋をすべきだ。恋はきっと楽しいものだ。僕はよく知らないけど。
僕は恋をしていきたい。生きてるうちは(早く死にたいけど)、この心臓が動くうちは、愛しの君を追っていたい。
この目が見えるうちは、君を見ていたい。
声が出るうちは、君に愛を説いていたい。
両手が動くうちは、君を抱いていたい。
僕の脳が正常なうちは、君のことを考えていたい。
それ以外の何を犠牲にしても。

嗚呼、恋か。なんとも尊い感情だなぁと唾棄して、僕はエロ漫画を読み始める。

自分の心模様を言葉にすることは、なんともパズルな作業である。

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写真はうちの飼い猫である。気持ちよさそうに眠っている。
猫の社会では、どうやら言葉は存在していないようで、にゃーとかぷーとかしか言わない。
彼が僕に何を望んで声をあげているのか明確にはわからないが、だいたいの鳴き声が「飯をくれ」と叫んでいることだけは感じ取れる。
 
さて、言葉を巧みに操れることは、才能だと考えていいと思う。
僕には語彙力も文章力もないので、こうやって駄文を乱雑に並べることしかできないが、人の心を打つような言葉を的確に選んで綴ることができたら、どれだけ楽しいだろうと思うことがある。

僕は、言葉をうまく使えるようになりたい。
頑張って言葉に愛される努力をしていく所存である。
昼寝をしている猫は、放置だ!!!

僕には小さな頃から憧れているものがある。
それは、『空飛ぶベッド』である。

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あ、写真はうちのあほ猫なのでお気になさらず。

さて、空飛ぶベッドについてだが。
ドラゴンクエスト6を小学生の頃にプレイしたとき、僕は初めてベッドで空を飛ぶというものを見た。
ドラクエ内では、主人公たちがベッドに乗りながら世界を駆け巡り、冒険するというものだった。
少年だった僕はきらきらした瞳でそれを見つめていた。

ベッドの上、という場所自体を聖地のように思っていた僕は、お布団にくるまりながら
青空を旅することに異常なまでの憧れを抱いていた。
水や食料はベッド下の引き出しにたんまり入れ込んで、世界地図を片手に進むんだ。
もちろん、魔法の力で雨や風は完全に遮断され、湿度と温度は一定に保たれたベッドの上で。
僕はパジャマ姿で大海原や砂漠、雪原や森林、ピラミッドや高層ビルを眺めて進むんだ。
お布団にくるまって!!

若返りの薬や、暗記パンや、タイムマシンなんかよりも、空飛ぶベッドの開発はよ!!!

春眠暁を覚えずという名言ならぬ迷言があるが、暁に目を細めて起床の伸びをする気持ちよさより、僕は布団にくるまってぬくぬくと惰眠をむさぼる気持ちよさの方が数倍うわてだと考える。

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人間の三大欲求の一つである睡眠欲。睡眠とは、心と体を正常に保つために夢の世界へ旅立つ自分を許すという神の慈悲であると解釈する。

惰眠の素晴らしさを身を呈して僕らに伝えるために、こてつくんは今日も堂々と昼寝をする。
朝起きてから眠り、昼ごはんを食べてから眠り、そして夜になると眠る。猫とはそういうものなのか。
そんな猫を横目に見て、僕もこたつにごろりと横になることにする。
夕暮れ時。晩ご飯まで、あと小一時間あるわけだし。
夢の中で、待つとしよう。


夏目漱石の『吾輩は猫である』という小説がある。
そこで登場する三毛猫の三毛子は、とても美人なメス猫で、飼い主にとても愛されている。
しかし、ある日突然体調を崩し、医者に診てもらうも結局はかえらぬ人(猫)となる。
飼い主は三毛子のためにお坊さんを呼び、お経をあげる。戒名までつけられ、立派な見送り方をするのだ。


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写真は、三毛子のような美人とはかけ離れた雑種道まっしぐらのアホ猫、我が家のこてつ氏である。
三毛子が体調を崩してから死に至るまで、ほんの1日程度の時間だった。

人間よりも猫の方が死に近い存在なのかもしれない。
というより、自身の病状を明確に伝えることができない猫にとって、病魔と闘うことはそれすなわち孤独の極みなのかもしれない。

猫は猫、人は人。人生ならぬ、猫生(無理やり音読みをしようとするなら、ビョウセイと読むべきか)をしっかり生き抜いてほしいと思う。いくらアホ猫といえど、我が家の家族である。

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