名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

カテゴリ: 短編小説

雪女が僕の家に居ついて二月(ふたつき)が過ぎた頃だった。
暖かな陽気が地面を照らし、溶け残った雪が汗をかいている。若葉が芽吹き、豆粒ほどの花が白紫に道端を飾っている。
すっかり雨戸のつららは消え失せ、かわりに屋根からしたたる雪解け水が宝石のように光って落ちた。

最初の異変は、片足の欠損だった。
僕が用事から帰ってくると、雪女は玄関でうずくまっていた。
座り方が不自然だと思ってのぞくと、すでに彼女の左足が溶けて消えていた。
玄関には、おそらく先ほどまで足の形をしていたであろう雪の塊が水たまりをつくっていた。

「心配しないで。不安な顔をしないで。私は……」
次の言葉で、僕の心は見えない何かでえぐられた。

「私はとても幸せだったから」

その刹那、僕と雪女は同時に涙をこぼした。
涙の意味はとても複雑だった。
はじめは雪女が一方的に僕へ恋文を読み上げるかたちではじまった二人であったが、しかし今は僕の方が彼女を想っていることに気づいた。同時に、僕が二度愛した彼女はやはり幻のような存在で、確かに命はそこにあっても、人間のように赤い血を流していないことを思い知らされた。
そして、この儚くも愛おしい僕らの関係は、春の陽気とともに溶けてなくなるのだと。

「逃げよう、北へ。まだ寒さの残る北の地へ」
たまらなくなった僕は、雪女を担いで走り出した。
すでに足一本分の重さがぬけているせいか、はたまた外からは見えない部分もすでに溶け失せてしまっているのか、人ひとりの重さはまるでなかった。
雪女の息は、すでに弱弱しかった。僕の北国への逃亡案に賛同も否認もせずに、彼女は僕の背中に身を任せた。

必死だった。ついに見つけた伴侶だった。
愛に飢えていたわけではない。人肌が恋しかったっわけでもない。
ただ、あのしんしんと雪の降る夜から始まった奇跡を一秒でも長く生かしてあげたかった。僕の世界の中心は決して僕自身ではない。この得体の知れない雪女であった。僕のすべてを投げうってでも生きてほしいと願える存在を、僕は必死で守り抜きたかった。

丸一日、走り続けた。
草履(ぞうり)がどこで脱げたかもわからない。
気づけば傷だらけの裸足をひきずり、道なき道をただ進んでいた。
橙色の夕焼けが、僕らを包んだ。どうか暖めてくれるなと、僕は夕日をにらんだ。

「もう、平気。ここで、やめて」
かすれた声が、耳元でささやいた。「でも……」と僕はしわがれた泣き声で反論した。
「ここで、降ろして。お願い、もう、あなたの方がぼろぼろよ」
白紫の小さな花が、毛布のように群をなして咲いている。僕はそこに彼女をおろした。
すでに、彼女は顔と体と右腕を残して、それ以外の四肢を失っていた。息をするのもやっとのようだった。
それでも僕を見つめたその表情は、優しげに、幼げに、愛らしく、健気で、儚かった。
「すまん、守れなかった」
僕は無意識に謝った。
「ありがとう。あなたに二度、恋ができてよかったわ」
雪女は、残った右手を必死で持ち上げ、僕の頬をなでた。
冷たい指は、僕の頬と心をあたためた。涙は意思とは無関係にどうしようもなく流れてきて、愛する彼女の最期を、ぐしゃぐしゃの顔でただただ見下ろすしかできなかった。
茜色の空は、残酷にも暖かい光で僕らを照らした。

「また、会えるだろうか」
弱い僕はそう言った。
「ええ。きっと、また雪の深い冬の夜に」
強い君は、微笑んだ。

白紫の花たちが、ふわりと揺れて。
先ほどまで生きていた雪の結晶が、花びらに水滴をつける。
水滴は夕日の橙色を反射させ、まるで宝石をふりまいたように輝いている。
美しい。
美しいに決まっている。
なぜなら、僕が愛した人なのだから。



「あなたへの恋心は、前世から枯れることなく咲き続け、私の魂をこの雪へと宿したのです」
少女は冷気とともに愛の言葉を吐き出した。



――それはしんしんと雪の降る静かな夜だった。

僕は囲炉裏(いろり)に覆いかぶさるように暖を取っていた。
極寒の闇に音もなく落ちてくるぼたん雪は、あっという間に集落を包み込んで白くした。
外に出ることもできぬほどだった。僕は春の陽気と桜を桃色を待ち望みながら、かじかんだ手を火にかざしていた。

とんとん、と、薄い木の戸が叩かれた。こんな夜に誰だろうと、立ち上がる。
がらりと戸をひきずると、そこには薄着の少女が立っていた。
「夜分遅くに失礼します。やっとお会いできました。私は、あなたが生まれる前から、あなたを想う女です」
薄い布切れをまとっただけのなんとも寒々しい恰好であった。しかしその身なりとは対照的に、瞳には力強く高貴な眼光を宿していた。細く色の薄い髪は背中を覆うほど長く、光の粉をまぶしたかのようにつややかだった。
顔立ちは、どこか懐かしげに思えてならなかった。
「よくわからんが、こちらで暖まりなさい」
家の中に招くも、少女はそれを拒んだ。寒さに震えているのは僕だけだった。

玄関先で、僕だけ布団を三枚もかぶりながら話を聞いた。
少女に名前はなかった。
初対面にも関わらず、しきりに僕への恋心を説いた。
少女が語るに、前世で少女と僕は夫婦であったようだった。無論、現世を生きる僕にその記憶はない。僕への恋心の強さが、彼女の魂を再び僕のもとへと走らせたのだと言う。しかし一度は終わった恋と、終わった命。そんな寂寥に浸った彼女の想いは、この冬の雪と共鳴し、ぼたん雪を人型へと変化させて彼女が生まれたという。
まさに雪女である。にこりを微笑む少女の唇は、血の気のない灰色であった。

雪女は暖を必要としなかった。むしろ、火や温かい汁物は苦手であった。
僕が囲炉裏で吸い物をすすっていると、決まって距離をおいた。雨戸からのびた氷柱(つらら)を好んで舐めた。

寂しさを紛らわすには、ちょうどよい話し相手だった。
谷底の集落であるが故、水分を多くふくんだぼたん雪が三日に一ぺんは降った。降り積もった重たい雪は、夜に響くすべての音を吸収して、しんと静まり返った無音の世界を作り出す。
そこで僕と雪女は、ささやくほどの声で話をした。
片方は囲炉裏で背中を丸めて、もう片方は冷えた玄関で膝を抱きながら。
何日も、何日も。
不思議と、恐怖や違和感はなかった。むしろ、僕の知らない前世の僕の話を楽しげにする彼女を愛おしく思うほどだった。生まれる前の自分に興味などなかったが、女の嬉々とした話し声が男一人暮らす狭い家に響くだけで、こちらも自然と頬がにこりと緩むのであった。

――しかし僕は気づいていた。

窓辺のつららはしずくを垂らし、まるで砂時計の砂が上から下へ落ちるように何かの終焉を予感させていた。
春は、もうすぐそこまで来ていた。




すべては『じゃがりこ』から始まった。

じゃがりこのパッケージには、『これはかたいお菓子なので気を付けて食べてください』とわざわざ書かれている。
僕は人の親切心を踏みにじるのが大好きな人間なので、2本のじゃがりこを勢いよく奥歯で噛んだ。
それはもう、じゃがりこと僕の奥歯の接触でビッグバンが起こり第二の宇宙が誕生するかのように、はたまた僕の奥歯とじゃがりこが織り成す咀嚼のリズムが、ウィーンのオーストリア顔負けの音色を奏でるように、凄まじい勢いでそいつをかみ砕いた。

すると、砕かれたのは僕の奥歯だった。
音もなく、砕けた振動だけが脳に響く。その瞬間、うわーこりゃまた歯医者地獄が始まるなと、心の底で覚悟と決意を決めるのであった。

僕の得意技は、おいしいコーヒーを淹れることと、歯医者を途中でブッチすることだった。
とくに歯医者のブッチには自信があって、最高4件の歯医者から逃げ出した記録を持っている。小学生の頃から歯医者逃亡選手権で全国大会を目指す決意を固めていたが、あいにく「自分の部屋に何冊エロ本を隠せるか選手権」と日にちがかぶっていたので、あえなく出場を諦めた。今も悔やまれる思い出である。

さて、仕事を定時で切り上げて、僕は歯医者へ赴いた。
診察台に寝転がる。

この後、男なら誰でも期待することがあるだろう。それをあえて記述する僕の勇気を讃えていただきたい。
寝転がる僕の脳天に、ふわりとやわらかい感触が触れる。
マスクをした歯科助士のお姉さんが僕を逆さにのぞき込む。前髪が僕の顔に向かって垂れていて、しかし後ろ髪は清潔感のあるポニーテールに仕立てている。肌は触れると溶けてしまうのではないかと思えるほど雪の白で、目は母猫のように優しく、色気があった。
そんなお姉さんの、胸の丘が、僕の脳天に触れた。

僕はそっと、目を閉じて、お姉さんの感触を確かめる。
死んでもいいと、思える瞬間であった・・・・。


つづく。


 

僕は石ころ。地球の誕生とともに生まれた。

人間なんかよりもずっと昔から地球上を闊歩していた偉大な存在なのに。今はどうだろう、さっきからとある少女にずっと蹴り飛ばされている。
赤いランドセルを背負った少女は、ご満悦な表情で僕の後を歩いてくる。
僕を蹴り飛ばすたびに、白いスカートがふわりと浮く。パンツが見えるぞ、と注意したくても、僕は石ころ、ただ転がることしかできなかった。
スタート地点は、小学校の校門。僕がどういう経緯で校門までたどり着いたかは覚えていないが、偶然的にこの少女に目を付けられたというわけだ。
どうやら「家までこいつを蹴って行く!」と意気込んでいたので、僕は少女の家まで転がされるようだ。
初対面なのに、すでに下校フレンドである。

少女に蹴られ続けて早10分。
到着したのは同じ町内にある神社だった。そこの神社は、誰も近寄らないことで有名だった。
境内にはコケやらカビやらが繁殖していて、息苦しいほどの荒れ具合だった。
「今日はここでセーブする!続きは明日!」と、少女は僕を持ち上げ、さい銭箱の裏に隠すように置いた。
ここなら雨に濡れなくて済むなと、僕は安心して腰を据えた。

しかし、次の日も、その次の日も、少女が僕を迎えにくることはなかった。
下校フレンドと思っていたのは、どうやら自分だけだったようだ。
そりゃそうである。僕は石ころ。ただの石ころなのだから。
きっと僕なんかよりスタイルの良い石ころを見つけて、今度こそ家まで蹴り飛ばしたどり着いたのだろうと、やきもちを焼いたりした。

それから数年、数十年の月日が流れた。
僕はいつも通り、石ころの仕事をやっていた。石ころの仕事とは、地球上に存在することである。
どっしりと、僕はまだ神社のさい銭箱の裏に置かれていた。
いつか僕がここに置かれた日のことを思い出した。
あのときの少女は、もうおばあちゃんになっているのだろうか。はたまた、もうこの世にいないんじゃないか。
そう考えると、涙が出るほど悲しくなった。
僕は石ころだ。涙を流す機能を神から与えられていない。しかし、悲しいという感情は僕の石肌をさらに冷たくした。少女との、たった10分の、旅だった。それでも僕を笑顔で蹴り飛ばしてくれた彼女を、僕は、忘れることができなかった。

ざわ・・・・と、神社を取り囲む木々の葉が揺れた。
こつ、こつ、と、石畳を歩く足音がきこえた。ゆっくりと、おぼつかない足取りでこちらに近づいてくるのがわかった。
さい銭箱の影が、ぬっと人型に伸びた。僕は、一気に緊張した。

僕を、細い指が、持ち上げる。
弱弱しく、握りしめられる。
しわがれた老婆の声で、「待たせたわね。なつかしいわ」とつぶやいた。
その人は、なんとなく面影のある懐かしい笑顔で、僕を見た。

僕と少女の、2度目の旅がはじまる。


終わりの始まりは、光とともに訪れた。
黎明の刻、少女は目を覚ます。左腕で体をむくっと起き上がらせようと力を入れるも、肝心の左腕が消えていた。
ひじから下が、まるで透明人間のように消えている。
それが最初の消失だった。
飼い猫が、少女の残った右手をなめていた。

次の日の朝、曇天模様の空がカーテンから白く見えていた。目を覚ました彼女は、今度は自分の右足が消えていることに気づいた。
なぜか焦りや驚きはなかった。むしろ、スリッパが一つでよいじゃないかと喜ぶほどだった。しかし、スリッパのかわりに松葉づえが必要なことに気づき、それはそれで面倒だなとため息を漏らした。
猫は、持ち主をなくした片方のスリッパを噛んで遊んでいた。

次の日。今度は一気に腰から下が蒸発していた。
これで少女は、ベッドの上から身動きがとれなくなった。
猫は、仕方ないなぁと少女のお腹に乗ってあげた。
幸いにも、少女は残った右手で猫の頭をなでてあげることができた。
それが少女に唯一残された他者の接触だった。それが少女に許された最後の愛情表現だった。

さらに次の日、少女の顔の左半分が消えていた。
脳が半分、空気と化しても、意識はそのままなんだなと不思議な気分だった。

少女は、あと2・3日もすれば自分が完全に消えてなくなってしまうのだなと思った。
死を自覚すると、とたんに寂しく、悲しくなった。
涙がほほを伝って、猫の頭の上に落ちた。
猫はむくっと起き上がり、少女のあごにしずくとなって垂れる涙をなめた。

すでに右手の指は消えかけていた。
消える前にと、少女は手のひらで猫を撫でた。お前は私が飼い主で幸せだったか?なんて、今まで思ったこともない問いを口に出したりした。
少女は最後の力を振り絞って、残った顔半分を窓にこすりつけた。
10センチほど窓が開き、隙間風がさわやかに部屋中を駆け抜けた。

次の日の朝、少女の姿はなくなっていた。
片方のスリッパと松葉づえが無造作に転がっている部屋に、早朝の冷たい風が優しく吹き込んでいた。

猫は少女を愛していた。その愛は脚力となり、猫を世界の果てまで旅させた。
しかし、世界中をくまなく歩いても、猫は少女を見つけ出すことができなかった。それでも猫は諦めなかった。何年も、何年も、肉球に血がにじんでも、足の皮がはがれても、猫は少女を探し続けた。

猫が旅に出て8年目の冬。
とうとう力尽きて道端に倒れこんだ。いつか感じた冷たく優しい風が吹いてた。
もうろうとする意識の中で、たしかに、猫は感じた。
自分の頭をなでてくれるなつかしい感覚、そのやさしさ。なんとか目を開けようとするが、しかし猫にはもうその力すら残されていない。
少女が、自分を持ち上げて、ぎゅうっと抱きしめてくれた気がした。
これでやっと、安心して眠ることができると、猫は。


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