名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

カテゴリ: 短編小説

どうしても君に見てほしくて、僕はそれをすくい上げた。
両手でそれを優しく包んだ。
そのままこぼれ落ちないようにおだんご握りをして、駆けだした。
帰り道。
雨が降ろうが、風が吹こうか、僕はそれを大事に大事に運んだ。

駆け足で、街を横切った。田んぼに挟まれた砂利道を気をつけて走った。
君を探した。
きょろきょろ見回して、探した。
慎重に手で包んで気にしているから、ときどき石ころにつまづいたりした。
必死で君を探した。探し続けた。
探している間も、決して両手をひらかなかった。五指の力を緩めまいと、気をつけて走った。
これを君に見せたかった。
すごいでしょうと自慢したかった。
おかえりなさいの言葉を待たずに、驚かせたかった。
きっと君は、僕をほめてくれるだろうと思った。
泣きたくなるような優しい笑顔で、えらいねと、よく頑張ったねと言ってほしかった。
僕はその光景を想像するだけで、心が躍った。気がつくと、涙がほほをつたっていた。
僕の走る目的は、君に笑ってもらうことだけだった。

帰り道。
ずっと走り続けた。
永遠に、走り続けた。

しかし、君にはたどり着けなかった。君の待つおうちは、どこまで走っても見つからなかった。
体が疲れと痛みで動かなくなって、そのうち僕はどこかの道ばたに倒れ込んでしまった。
100回目くらいの夕焼けが、うずくまった僕を暖かく照らした。
どこかでカラスが鳴いて、もう良い子は帰る時間だよと教えてくれた。
しかし、僕は帰れなかった。
指の力は決してゆるめなかった。それが落ちてしまわないように、残った力のすべてを使って優しく包んだ。
包み続けた。

もうこれをすくい上げてからずいぶん経った。
君を探し続けて、何度太陽と月が交代しただろうか。

そういえば、と僕は思った。
僕は何をすくい上げたんだっけ。
何をここまで大切に守ってきたんだっけ。
これを見せたかった君って、誰だっけ。

それでも、僕はつつんだ両手をひらかなかった。
ひらいてしまったら、ずっと守ってきたソレがこぼれ落ちて、もう君の笑顔には出会えなくなってしまうのだから。

小学生の頃、『あのねノート』という奇妙な宿題があった。

「先生、あのね……」という書き出すことを条件とした日記である。当然、その日記は先生に読まれることを前提に書くものであり、毎日宿題として提出が義務づけられていた。

先生、あのね、ハムスターを投げて遊んだよ。
先生、あのね、食べられなかったにんじんをポケットに隠したよ。
先生、あのね、友達のドラクエの冒険の書を消したよ。

まあそんな感じで、今日どんな悪事を為したかを先生に懺悔(ざんげ)するという『あのねノート』。
さぞかし悪趣味な罪状綴りであっただろうと、当時のことを振り返る。
小学3年生だった僕の担任の先生は、20代前半の新任教師であり、あのねノートに綴ったいたずらの数々を丁寧にチェックしてくれていた。

それが、たまらなく嬉しかった。

僕はある日、
「先生、あのね、先生が男の人と歩いてるのを見たよ」
と、書いて提出した。

その日の放課後、僕は先生に生徒指導室へと呼び出された。
「ヤイリくん、先生のことを見たってどこで見たの。あのねノートに、そう書いていたよね」
「うん。書いたよ。先生、男のひとと一緒なのを見たよ。どこで見たかは、内緒だよ」
「どうして内緒なの」
「そっちの方が先生が困るからだよ。先生の困った顔が見たいんだよ」

先生は、絶句した。
先生は僕ら生徒が大声であばれたり授業中にうるさかったりしても、うまく叱ることができない人間だった。
僕に対し、怒りと怯えを滲ませた苦悶の表情を見せた後、拒絶するようにきびすを返した。

先生の声は、震えていた。
しかし、同時に僕も高揚感に心震わせていた。
「もう変なこと、書いちゃいけませんよ」
「いやだよ。先生があのアパートにあの人と住んでいて、あそこで買い物をして、どこで笑ってどこで泣いて」
僕は続けた。
「いつ帰ってきて、いつお風呂に入って、いつ眠って、いつゴミを出して、いつ憂鬱な顔をして学校に来るのか。僕はちゃんとあのねノートに書くんだよ」

放課後の斜陽が、紫色とオレンジ色を混ぜたような色で僕らを包む。
先生は眉間にしわを寄せて、僕から一歩、また一歩と遠ざかる。
「あのねノートは先生が毎日提出しなさいって言ったんだよ。だから僕は書くんだよ。書くために、先生を見続けるんだよ。僕は体が小さいから、クローゼットや、ベッドの下や、いろんなところに隠れられるんだよ」

先生のくちびるの色がだんだんと悪くなっていく。
瞳からは涙があふれる。指の先が恐怖に震える。小刻みに後ずさりをする。
背中を丸めて、これから殺人鬼に切り刻まれる少女のように小さく縮こまっている。
僕はしゃがむ。ランドセルからあのねノートを出す。
「先生、あのね。今日は先生がへんだよ。ぼくを怖がっているみたいだよ。でも、わかったことがあるよ。今までみた先生の顔の中で、泣いてる顔がいちばんかわいいよ」

どたどたと、先生はへっぴり腰を引きずって指導室を飛び出した。
逃げなくてもいいのに、と僕は口をとがらせる。
残された僕はノートをランドセルに放り込んだ。

さて、おうちへ帰ろう。
いつものあのアパートに。

盗んだバスで旅に出て、3日目のことだった。

僕は陸地に沿って弧を描くようにシーサイドを飛ばしていた。
波は穏やかだった。大海原の青は僕の冒険心を優しくなでて震わせた。

世界が“こんなに”なる前に、通販サイトで買ったサングラスをくいっと直す。秋の澄んだ空から、暖かみのある斜陽がバスと僕を包む。
僕は片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手でラジオをつけた。
『隕石の落下まで、残り23日5時間30分……』
冷たい文字列と数値列を、録音された女性の声が読み上げる。
まったく、こっちは気持ちよく旅をしているのだから、ボブディランのひとつでもかけてほしいものである。

道路には、僕の運転するバス以外に車は走っていない。
こんなにも気持ちの良い秋晴れにも関わらず、釣り人ひとりすら見当たらない。
世界の破滅がすぐそこまで迫っているこんなときだからこそ、幸せを探して釣り糸を垂らすべきだと考えるのは、僕がフェミニストだからか、はたまた楽観的すぎるからか。

煙草に火をつける。さっき自販機をぶっ壊して手に入れたセブンスターである。
窓をあけ、冷たい空気を車内に入れる。僕は、自由を感じる。

”そのニュース”が世間を騒がせたのは、僕の18歳の誕生日、偶然にも10月10日の夜だった。
地球の13倍の体積をもつ隕石が、約31日後に落下してくる。なんともSF映画チックな話だが、どうやら事実らしかった。幸いにも、僕は厭世的思想にとりつかれた死にたがりであったため、ちょうどいい、首をくくる手間が省けたくらいにしか思っていなかった。
しかし、世界中の人間たちは狂い逃げ出した。どこへ逃げても、地球上からは脱出できないにも関わらず、だ。
なんとも滑稽である。

それから、テレビ放送がなくなった。今ではラジオが定期的に地球の寿命をカウントするのみとなった。
街から相当数の人間が消えた。どこぞの宗教団体が皆を連れて行ったという噂もあれば、東京の地下シェルターへ向かったとも聞こえてきた。
率先して犯罪集団を結成し、本能のまま女を襲う者も出てきた。滅びることが確定している世の中なのに、金銭を奪う者もいた。死を目の前にして、皆、生きたいように生きだした。

僕はというと、まずバスを盗んだ。路線バスではない、長距離も走れる観光バスである。運転技術に自信がなかったため、少々小ぶりなやつにした。

バスの運転手は、僕の夢だった。
セブンスターの紫煙は一瞬で窓の外に吸い出され、消えていく。サングラスの位置をもう一度直す。
最高に気分が良かった。残り23日、あてもない旅を決め込ませてもらう。

ぐぅっと、空腹を知らせるベルが上腹部から鳴る。
適当なスーパーマーケットでも探して食料を調達しようと、思考と目線をくるりと巡らせた僕は、
とらえたのだ。
視界のはしに、たしかにとらえた。
とらえて、反射的にブレーキを踏んだ。

バス停に、少女が一人。
黒いキャリーバッグを立てて持つ少女が一人、
来るはずのないバスの到着を待っていたのだった。


~つづく~

当時、高校2年生だった僕は、クラスメイト全員が死ねばいいと思っていた。
丸坊主にした高校球児がグラウンドで砂煙を立てているのを、僕は校舎3階の理科室の窓から見下ろしていた。
夕暮れは目を細めたくなるほどまぶしい。校庭やグラウンドで同級生が青春ドラマを織りなしている。目を細めたくなるほど、まぶしい。

理科室は、沈黙がうるさく響いていた。
僕はマッチを擦り、アルコールランプに火をともす。
黒塗りのテーブルの中央にランプを置く。アルコールが気化したにおいが漂う。僕は橙の夕焼けを背にして、机に突っ伏す。灯火は直視するにはまぶしくて、また目をそらす。
僕は、すべてから目をそらす。逃げることは慣れっこだった。

「ここはあなたの部屋じゃないのよ」
声に振り向くと、化学担当の先生が立っていた。白衣のポケットに両手を突っ込んで、不機嫌そうに僕を見ていた。先生は男子に人気があった。胸が大きくて、スレンダーだったからだ。
僕は先生の呼びかけを無視して、ランプの火を見つめていた。
「あのねぇ、友達がいないのはわかるけど」
僕は。
「ここは君の遊び場じゃないんだから」
それでも、僕は。
ーー誰がしゃべるものか。

壊れた壁掛け時計は、17時をさしていた。当時、僕の住んでいた街では大規模な地震の被害があった。何棟も家屋が倒壊し、死者も出た。この校舎も壁にひびが入ったりしたが、あらかた修繕されていた。しかし、なぜかこの時計だけは震災の起きた時刻のまま止められていた。

机に顔を突っ伏したままの僕だったが、ついにばつが悪くなり、アルコールランプにふたをした。
しかし声は発しなかった。無意味な意地が僕を無口にさせた。
仏頂面の僕を見て、先生はあからさまに長いため息をついた。先生は僕の隣の席に腰をおろした。

本当は先生とおしゃべりがしたかった。
先生はとても綺麗な女性だったし、知的だった。本もたくさん読んでいるようで、授業でゲーテの『若きウェルテルの悩み』を紹介していた。試しに読んでみたが、僕には何が面白いのか全く理解できなかった。それは僕に感性が足りないのか、先生の本のセンスがないかのどちらかだった。

「グリーゼ581」
「・・・・・・え?」
唐突な一言。今、なんて。思わず僕は声を発してしまう。意固地に無言を貫こうと思っていたのに、思わず、聞き返してしまう。
「私も専門じゃないから、教養程度の話だけどさ」
先生は、黒いストッキングを夕焼けに光らせながら脚を組んだ。僕は目のやり場に困って、外を見た。
「グリーゼ581っていう星があるの。天体の話。天秤座の方角にある恒星でね、地球から20光年離れてる」
「・・・・・・何の話ですか」
「だから天体の話よ。そのグリーゼ581って星はね、まだ詳しくはわかってないんだけど、第二の地球って言われてるの。とても地球によく似た環境でね、生き物がいるんじゃないかっていわれてる」
ぴくりと、僕の心がうずいた。好奇心が鳥肌に乗って体を駆け巡る。思考が冴える。
「そこには、もしかしたら、もうひとりの君がいるのかもね」
「・・・・・・」背中に夕日が当たる。とても暖かく、まるで誰かに抱きしめられた気分になる。
「20光年も離れている別の星の話だけど。グリーゼには、私や君、他のクラスメイト、みんなが別の世界軸で暮らしている」
「・・・・・・」
「たとえ地球がグリーゼに成り代わっても、君は君の性格で育っているだろうし、私も私できっと教師をしていると思う」
すると、先生は立ち上がり、僕に近づく。ふわりと香水と煙草のかおりがする。
一気に緊張して、肩がりきむ。カチコチに固まった僕の肩に、先生は顔を寄せる。そのままくるりと体を返し、僕と同じ目線の位置で窓の外を指さす。細く、白い人差し指。指した先は、天秤座の方角。
「ほら、今、君は君と目が合った。グリーゼの君も、きっと孤独で泣きそうな顔してる。こっちから笑ってあげなきゃ、向こうの君がかわいそう」

ーーなぜだろう、僕は笑えた。
無意味に意味深な先生の講義は、夕暮れに優しく溶けて僕の心に染み入った。
そのとき、先生は僕に何を伝えたかったのか。今でも考える。
昨年、先生が亡くなったという知らせが来たときは、耳を疑ったが、変に納得した自分もいた。
美人は往々にして、短命である。


2017年、6月。22時。
僕は煙草をくわえて、天秤座の方角を仰ぐ。
星空が街を包み込む。何光年も昔の光が、無事に僕の瞳に届く。
グリーゼに生きる先生は笑っているだろうか。はたまた不機嫌な顔をしながら理科室で孤独な生徒を救っているだろうか。
壊れた時計は、今も壊れたままだろうか。
少なくとも、僕の思い出の中では、
夕焼けの橙が今も色あせず、17時のまま、あの日の先生と空を見ています。

雪女が僕の家に居ついて二月(ふたつき)が過ぎた頃だった。
暖かな陽気が地面を照らし、溶け残った雪が汗をかいている。若葉が芽吹き、豆粒ほどの花が白紫に道端を飾っている。
すっかり雨戸のつららは消え失せ、かわりに屋根からしたたる雪解け水が宝石のように光って落ちた。

最初の異変は、片足の欠損だった。
僕が用事から帰ってくると、雪女は玄関でうずくまっていた。
座り方が不自然だと思ってのぞくと、すでに彼女の左足が溶けて消えていた。
玄関には、おそらく先ほどまで足の形をしていたであろう雪の塊が水たまりをつくっていた。

「心配しないで。不安な顔をしないで。私は……」
次の言葉で、僕の心は見えない何かでえぐられた。

「私はとても幸せだったから」

その刹那、僕と雪女は同時に涙をこぼした。
涙の意味はとても複雑だった。
はじめは雪女が一方的に僕へ恋文を読み上げるかたちではじまった二人であったが、しかし今は僕の方が彼女を想っていることに気づいた。同時に、僕が二度愛した彼女はやはり幻のような存在で、確かに命はそこにあっても、人間のように赤い血を流していないことを思い知らされた。
そして、この儚くも愛おしい僕らの関係は、春の陽気とともに溶けてなくなるのだと。

「逃げよう、北へ。まだ寒さの残る北の地へ」
たまらなくなった僕は、雪女を担いで走り出した。
すでに足一本分の重さがぬけているせいか、はたまた外からは見えない部分もすでに溶け失せてしまっているのか、人ひとりの重さはまるでなかった。
雪女の息は、すでに弱弱しかった。僕の北国への逃亡案に賛同も否認もせずに、彼女は僕の背中に身を任せた。

必死だった。ついに見つけた伴侶だった。
愛に飢えていたわけではない。人肌が恋しかったっわけでもない。
ただ、あのしんしんと雪の降る夜から始まった奇跡を一秒でも長く生かしてあげたかった。僕の世界の中心は決して僕自身ではない。この得体の知れない雪女であった。僕のすべてを投げうってでも生きてほしいと願える存在を、僕は必死で守り抜きたかった。

丸一日、走り続けた。
草履(ぞうり)がどこで脱げたかもわからない。
気づけば傷だらけの裸足をひきずり、道なき道をただ進んでいた。
橙色の夕焼けが、僕らを包んだ。どうか暖めてくれるなと、僕は夕日をにらんだ。

「もう、平気。ここで、やめて」
かすれた声が、耳元でささやいた。「でも……」と僕はしわがれた泣き声で反論した。
「ここで、降ろして。お願い、もう、あなたの方がぼろぼろよ」
白紫の小さな花が、毛布のように群をなして咲いている。僕はそこに彼女をおろした。
すでに、彼女は顔と体と右腕を残して、それ以外の四肢を失っていた。息をするのもやっとのようだった。
それでも僕を見つめたその表情は、優しげに、幼げに、愛らしく、健気で、儚かった。
「すまん、守れなかった」
僕は無意識に謝った。
「ありがとう。あなたに二度、恋ができてよかったわ」
雪女は、残った右手を必死で持ち上げ、僕の頬をなでた。
冷たい指は、僕の頬と心をあたためた。涙は意思とは無関係にどうしようもなく流れてきて、愛する彼女の最期を、ぐしゃぐしゃの顔でただただ見下ろすしかできなかった。
茜色の空は、残酷にも暖かい光で僕らを照らした。

「また、会えるだろうか」
弱い僕はそう言った。
「ええ。きっと、また雪の深い冬の夜に」
強い君は、微笑んだ。

白紫の花たちが、ふわりと揺れて。
先ほどまで生きていた雪の結晶が、花びらに水滴をつける。
水滴は夕日の橙色を反射させ、まるで宝石をふりまいたように輝いている。
美しい。
美しいに決まっている。
なぜなら、僕が愛した人なのだから。



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