名刀 彼の名は『こてつ』

ある日、僕は子猫を譲り受けた。猫の名は『こてつ』。爪と牙は血に飢えた日本刀のごとく鋭く、黒と茶の縞模様は悪魔を召喚する魔法陣のように規則正しい幾何学模様をなしている・・・!!!

カテゴリ: 短編小説

終わりの始まりは、光とともに訪れた。
黎明の刻、少女は目を覚ます。左腕で体をむくっと起き上がらせようと力を入れるも、肝心の左腕が消えていた。
ひじから下が、まるで透明人間のように消えている。
それが最初の消失だった。
飼い猫が、少女の残った右手をなめていた。

次の日の朝、曇天模様の空がカーテンから白く見えていた。目を覚ました彼女は、今度は自分の右足が消えていることに気づいた。
なぜか焦りや驚きはなかった。むしろ、スリッパが一つでよいじゃないかと喜ぶほどだった。しかし、スリッパのかわりに松葉づえが必要なことに気づき、それはそれで面倒だなとため息を漏らした。
猫は、持ち主をなくした片方のスリッパを噛んで遊んでいた。

次の日。今度は一気に腰から下が蒸発していた。
これで少女は、ベッドの上から身動きがとれなくなった。
猫は、仕方ないなぁと少女のお腹に乗ってあげた。
幸いにも、少女は残った右手で猫の頭をなでてあげることができた。
それが少女に唯一残された他者の接触だった。それが少女に許された最後の愛情表現だった。

さらに次の日、少女の顔の左半分が消えていた。
脳が半分、空気と化しても、意識はそのままなんだなと不思議な気分だった。

少女は、あと2・3日もすれば自分が完全に消えてなくなってしまうのだなと思った。
死を自覚すると、とたんに寂しく、悲しくなった。
涙がほほを伝って、猫の頭の上に落ちた。
猫はむくっと起き上がり、少女のあごにしずくとなって垂れる涙をなめた。

すでに右手の指は消えかけていた。
消える前にと、少女は手のひらで猫を撫でた。お前は私が飼い主で幸せだったか?なんて、今まで思ったこともない問いを口に出したりした。
少女は最後の力を振り絞って、残った顔半分を窓にこすりつけた。
10センチほど窓が開き、隙間風がさわやかに部屋中を駆け抜けた。

次の日の朝、少女の姿はなくなっていた。
片方のスリッパと松葉づえが無造作に転がっている部屋に、早朝の冷たい風が優しく吹き込んでいた。

猫は少女を愛していた。その愛は脚力となり、猫を世界の果てまで旅させた。
しかし、世界中をくまなく歩いても、猫は少女を見つけ出すことができなかった。それでも猫は諦めなかった。何年も、何年も、肉球に血がにじんでも、足の皮がはがれても、猫は少女を探し続けた。

猫が旅に出て8年目の冬。
とうとう力尽きて道端に倒れこんだ。いつか感じた冷たく優しい風が吹いてた。
もうろうとする意識の中で、たしかに、猫は感じた。
自分の頭をなでてくれるなつかしい感覚、そのやさしさ。なんとか目を開けようとするが、しかし猫にはもうその力すら残されていない。
少女が、自分を持ち上げて、ぎゅうっと抱きしめてくれた気がした。
これでやっと、安心して眠ることができると、猫は。


少女は自らの命が残り少ないことを知っていた。
少女は命の光を可視できた。そして少女はその光をすくいあげ、別の生き物に分け与えることができた。

真冬の夜だった。夕方に振った牡丹雪が空気を洗い、澄んだ冷気が空を流れていた。
空っ風は雲を東へ運び、満天の星空がプラネタリウムのように少女と街を包んでいた。

街の明かりは点々と広がる。少女は薄着で、震えながら歩いていた。
目的地などなかった。胸ポケットにはビスケットが2枚。最後の食料だった。

雪で白くなった街路は、等間隔で林立するランプ型の街灯で照らされている。
レンガの道の端っこで、少女の足が止まった。
段ボールには子猫が2匹、横たわっていた。一匹は真っ黒で、もう一匹は白黒のまだら模様だった。
少女は膝を抱いてしゃがんだ。「死んでいるの」と問いかけた。
猫から返事は返ってこなかった。

少女は、ふと自分自身の生い立ちを思い出していた。
母親からは薄着の服しか与えられず、誕生日であった今日この日においても、プレゼントはビスケット2枚だけだった。少女は自分の父親が誰か知らない。知らなくてもよいと考えるようにすらなっていた。

少女は、人差し指で優しく真っ黒猫の頭を撫でた。驚くほど冷たかった。同時に、自分がまだ暖かさをもっていることに気づいた。

少女は胸ポケットからビスケットを2枚取り出した。ビスケットは、不思議な光を放っていた。それは紛れもなく、少女の命の光そのものだった。
ビスケットを一口サイズに砕き、子猫たちの口にくいっと押し込んだ。
子猫は二度目の産声をあげた。真っ黒と白黒は少女を一瞥し、元気に街の明るい方へ消えていった。

少女はそれを見送り、2枚のビスケット分しか残っていなかった命の光の僅か残りを、真冬の夜空へ溶かして消えた。
後悔はなく、むしろ清々しい顔で少女は力なく横たわる。粉雪が、少女につもっていくのを、ランプ型の街灯はただスポットライトのように照らし続けたのだった。

命をもらった真っ黒と白黒は、ビスケットの甘味と知らない誰かの優しさを決して忘れることなく、どこまでも駆けていった。どこまでも。彼らの足を止める権利は誰にもない。

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